プロ野球DeNAの山崎康晃投手。
母親である山崎ベリアさんは、2021年10月に若くして亡くなられています。
これまでも、山崎康晃投手と母親のエピソードがメディアで紹介されるなど、注目を集めてきました。
それでは一体、山崎ベリアさんの死因は何だったのでしょうか。
また、持病を持っていたり、病気を患っていたのでしょうか?
この記事では「山崎康晃の母べリアの死因が特定?病気や持病だったのかを解説!」と題して記事をまとめていきます。
報道の概要
山崎ベリアさんの死去について、スポニチは以下のように報じています。
DeNAは30日、山崎康晃投手(29)の母、山崎ベリアさんが死去したと発表した。51歳だった。
詳細については遺族の意向で差し控えるとしている。
出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/7ff8d4874f0b3a071430d7821e5100ae67c6d5bb
上記の通り、山崎ベリアさんは51歳という若さで亡くなられています。
山崎康晃の母べリアの死因は何?
【写真特集「ファンフェス編」】
残留を表明した山崎康晃投手😊#baystars #ベイスターズ #横浜反撃 #山崎康晃 #ヤスアキ #守護神 #ハマスタ #横浜スタジアム #ファンフェスティバル pic.twitter.com/IFFAHYnPpN— 日刊スポーツベイスターズ番 (@nikkan_baystars) December 11, 2022
ここからは、山崎康晃の母親である山崎べリアさんの死因は何だったのかをまとめていきます。
各情報を調べてみましたが、死因については明らかになっていません。
球団が遺族に配慮して詳細は公表していないので、明らかになることはないと考えられます。
可能性としては、山崎べリアさんは病気や持病があったのかもしれません。
Twitterでは以下のような投稿が確認できます。
ベリアさんが病気を患っていたとしたら多少なりともヤスアキに影響はあったのかもしれないな。
— じー/しょう@baystars (@ggshou2525) October 30, 2021
近年の不調は
お母さんの闘病から
きていたのかもしれないけど
いい時に戻らないままで
お別れになったのは辛いな。出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/7ff8d4874f0b3a071430d7821e5100ae67c6d5bb/comments
上記のように、山崎べリアさんは何らかの病気を患っていたのではないかという声が散見されます。
確かにここ数年山崎選手は投球が不調だったため、母親の体調面を気にするなど、精神的な影響があったのかもしれません。
ただ、現在のところ山崎べリアさんが何かの病気を患っていたという事実は確認できていません。
また、何らかの不慮の事故である可能性も否定できません。
いずれにしても、第三者からは事実を知ることは難しそうです。
球団側からは遺族に配慮して詳細を明らかにしておらず、今後も明らかになることはないと考えられます。
山崎選手は東京オリンピックで金メダルを獲得した後、次のように話しています。
お母さん側の親族が一気に掲載の画面が僕になったり待ち受けが僕になったりしたといっていた。
お母さんが非常に喜んでましたしそういう姿を見せられて僕自身すごくよかった。
東京五輪のメダルを親族に見せられたのは喜びだったでしょうね。
山崎康晃の母親べリアのプロフィール
昨日、初セーブ記録しました‼︎
お母さんの前でのセーブは特別な想いがありました。母は小さい頃から僕を女手一つで育ててくれましたから‼︎沢山のご声援や、メッセージ本当にありがとうございました‼︎(*^^*)I♡YOKOHAMA。#19 pic.twitter.com/PDeVBpRJX5— 山﨑 康晃 (@19Yasuaki) April 1, 2015
山崎ベリアさんの出身はフィリピンです。
山崎選手はべリアさんと、日本人の父親の間に生まれています。
ベリアさんは日本語を学ぶために19歳の時に来日しました。
ベリアさんは日本に希望を胸に抱いてやってきて、来日の翌年には日本人男性と結婚しています。
その後、2人のお子さんを授かりました。
子供は長女である康晃さんのお姉さんと、次男の康晃さんがいました。
幸せな4人家族の生活が続いていたかと思いましたが、ベリアさんは康晃さんが小学3年生の時に旦那さんと離婚しています。
その後、ベリアさんは女手1つで2人の子どもを育てるために、昼夜問わず働いたのです。
離婚後は母国であるフィリピンへの帰国も考えたといいますが、康晃選手が大好きな野球を日本で続けてほしい願いから、日本に残ることを決めます。
康晃選手が野球に向かう時は朝早く弁当を作って、康晃さんを全力で支え続けてきたのです。
そんな献身的な母親の姿を見た康晃さんは絶対にプロ野球選手になって成功し、恩返しすると決意しています。
山崎選手の試合がある日は、姉と一緒に毎日のように応援にかけつけていました。
そんな最愛の母との突然の別れは、山崎選手にとって大変つらいものであると想像できます。
ベリアさんが亡くなったあと、康晃選手は母ベリアさんへの感謝の思いを手紙につづっています。
ネットの反応
異国の地で二人の子供を立派に育て上げたのは本当に素晴らしいです。
テレビで拝見した事がありますがショックです。ご冥福をお祈りします。山崎投手の益々の活躍を祈念します。
山崎投手が入団直後のヒーローインタビューで、お母さん僕を産んでくれてありがとうと言ったのをふと思いだし、涙が出そうになりました。
異国の地で2人のお子さんを
立派に育て尊敬します。笑顔が素敵なお母様
でしたよね。
まとめ
この記事では「山崎康晃の母べリアの死因が特定?病気や持病だったのかを解説!」と題して記事をまとめてきました。
プロ野球DeNAの山崎康晃投手の母親は山崎ベリアさんといいます。
フィリピンに生まれて日本語を学ぶために来日した彼女は、日本人の男性と結ばれて康晃選手を産んでいます。
その後男性とは離婚し女で一つで育ててきたベリアさんは、2021年10月に若くして亡くなられています。
これまでも、山崎康晃投手と母親のエピソードがメディアで紹介されてきました。
山崎ベリアさんの死因は何なのかを調べてみましたが、球団側からは遺族に配慮して公表されていません。
不慮の事故の可能性がありますが、近年康晃選手が不調だったことから急なことではなく、もともと持病を持っていたり、病気を患っていたのかもしれません。