神楽坂浮子の娘の画像は?名前は大野で年齢はいくつかを解説!

2022年10月1日に、NHK紅白歌合戦に2度出場経験がある神楽坂浮子さんの娘の過去について報道され、話題になっています。

神楽坂浮子さんは2013年11月20日に75歳で亡くなられていますが、神楽坂さんの娘は、壮絶な人生を送ってきた事を記事で告白していました。

ネット上では、神楽坂浮子の娘の画像について気になっている方が非常に多いようです。

娘の名前や学校についても知りたいと思うのではないでしょうか。

そこで今回は、「神楽坂浮子の娘の画像は?名前や学校も徹底調査!」と題して記事をまとめていきます。

 

神楽坂浮子の娘の画像は?

まずはじめに、神楽坂浮子さんの娘の画像について調査していきます。

SNSなども使い、娘の画像を徹底的に調べていきましたが、神楽坂浮子さんの娘については報道に載っている以外の画像は出てきません。

出典:https://friday.kodansha.co.jp/article/266536/photo/49ad4bbe

 

出典:https://friday.kodansha.co.jp/article/266536/photo/49ad4bbe

現在確認されているのはモザイク加工されている写真のみで、左が中学の時の娘さんです。

神楽坂浮子さんは、最後の芸者歌手と言われ、大舞台でスポットライトを浴びながら華やかな人生を過ごしていましたが、娘は違いました。

娘は10代の頃から20年以上もの長期にわたって覚醒剤に溺れ、反社会的勢力の男の玩具のような人生を過ごし、逮捕歴もあるとの事です。

反社会的勢力と関わっていた事実などもあるため、娘さんに関して画像などを一切残していないのかもしれませんね。

実は神楽坂浮子さんの娘の画像が世に出回っていない理由として、有力な情報を掴むことが出来ました。

 

神楽坂浮子は母親の役割を捨てていた

神楽坂さんの娘さんへのインタビュー記事で、神楽坂浮子さんは彼女は母親の役割を捨て、「芸能人」として生きる女だったと語っています。

神楽坂浮子さんは娘と一緒に舞台などへ出かける時にはブランド品に身を包んで、娘にも自分が持っている高価なバッグを持たせていたそうです。

行く先々では羽振り良く振る舞って、娘と仲むつまじい様子をアピールしていますが、家に帰ると、別人のようになって娘さんからバッグを奪っていました。

目も合わせようとせず、娘さんが話しかけても返事すらしないことも多く、服も靴も買い与えようとしなかったそうです。

このことに対してインタビューで娘さんはこう答えています。

・母は自分にしか興味がなく、娘にはまったく関心を持っていなかった

・外出する時に「行ってきます」と言っても返事がないので、ドアを思い切り閉めて気づいてもらおうと出ていくのが習慣だった

・物心ついた時から当たり前だったので、周囲から「神楽坂浮子の娘」と言われても嬉しいと思わない

そんなある日、神楽坂浮子さんは突然、娘が小学5年生の時に1人で東京都内の高級住宅地にあるマンションに引っ越してしまいます。

引っ越し先のマンションは、当時愛人関係にあった大企業社長からプレゼントしてもらったもので、愛人との密会場所としても使われていました。

その行動によって、娘さんは母親である神楽坂浮子さんに捨てられたと思ったようです。

そのため、家族写真などもほとんど残っておらず、世に出回っていない事が分かりました。

神楽坂浮子さんについては、こちらの記事もご確認ください。

>>神楽坂浮子の息子の名前は?年齢や顔画像も徹底調査!

 

神楽坂浮子の娘の名前は大野?

次に、神楽坂浮子さんの娘の名前について詳しく調査していきます。

記事では高野香瞳さんと報道されており、わかっている情報は下記のとおりです。

仮名:高野香瞳
生まれ:1974年
年齢:48歳前後
出身:東京都
住所:関東から離れた遠い地
出身中高:私立の中高一貫校の寮に入学(東京都から離れた場所)
出身大学:東北の大学(中退)
職歴:六本木の有名高級クラブで勤務し、芸能事務所に登録

ちなみに、この神楽坂と言うのは芸名で、学生時代に人気を博していた神楽坂はん子さんに憧れそう名付けたそうです。

そのため、この時点で神楽坂と言う苗字ではないことはわかりました。

記事では娘を高野香瞳と記していますが、隣には仮名と書いてあります。

そのため、神楽坂さんの娘の名前は完全に伏せられており、何も情報を得ることは出来ませんでした。

ちなみに、神楽坂浮子さんの本名は「大野景子」なので、娘の名字も「大野」である可能性が考えられます。

ただ、娘は神楽坂浮子さんと再婚相手との間の子どもなので、違うかもしれません。

娘さんも、神楽坂浮子の子供だと思われたくないとはっきり言っているため、これからも公表する気はないのでしょう。

 

神楽坂浮子の娘の学校は?

神楽坂浮子の娘の学校について見ていくと、あることがわかりました。

娘さんは中学生の頃に、母親のコネで私立の中高一貫の学校へ進学しており、学校の寮に入っていたことがわかりました。

神楽坂浮子さんはその当時愛人と暮らしており、子供が邪魔になったことで、寮に入れさせたのではないかとの事です。

娘は高校卒業後は、母親のコネで東北の大学へ進学したことがわかりましたが、1年弱で中退してしまったそうです。

そのため、娘さんの最終学歴は大学中退だとわかりましたが、娘さんについては、学校名までは特定できませんでした。

 

中高一貫の中学校と高校時代

神楽坂浮子の娘は、中学1年生で煙草を吸い始め、中学2年生からはシンナーを始めるなど悪の道を進んでいることがわかります。

学校をサボり、毎日のようにシンナーを買いにいき、薬物の密売人である反社会的勢力の男性と交際するようになります。

やがて学校の寮には帰らず、密売人の暴力団組員と同棲することになりました。

 

高校卒業後は六本木のクラブでキャストとして勤務

東北の大学を中退した後、娘さんは六本木にあった有名な高級クラブでキャストとして働きだします。

この店は六本木の中でも特に格が高く、大物芸能人が毎日のように出入りしていたそうです。

ですが、そこで働いていたキャストは所詮20歳そこそこの若者でしかなく、店が終われば当時流行っていたチーマーたちとつるんでいたそうです。

ちなみにチーマーと言うのは、いわゆる反社会的勢力を表しており、茶髪にしたりピアスをしたりして夜通し遊んでいる集団を指しています。

 

薬に染め人生が狂う

そんなチーマーたちとディスコやクラブで踊り明かす日々だったそうですが、その後覚醒剤に手を染めてしまい人生が狂ってしまいます。

一度は母の元に帰りましたが、何度も衝突を繰り返した結果、再度覚醒剤を求めて売人の元に戻ります。

性行為と引き換えに覚醒剤や寝る場所を手に入れたのです。

しかし、密売者の言いなりになって、方々から多額の借金を背負わされた娘は、ホテトルの仕事を始めます。

覚醒剤の影響もあって正常な思考ができず、反社会的勢力の組に覚醒剤を注射器で打たれ、「シャブ漬け」の状態となり、ひたすら性の玩具として扱われました。

 

火葬場で母の最期を見守る

その後も、犯罪を重ねる日々を過ごしていましたが、自治体の職員から電話がかかってきたことで、神楽坂浮子さんが亡くなったことを知ったようです。

神楽坂浮子さんは生活保護を受けている状態で亡くなり、娘さんに連絡がきました。

火葬場には娘さん一人しかいなかったそうで、あれだけ有名だったにも関わらず、寂しい最期だったと語っています。

その後1度は遺骨を受け取ったそうですが、刑務所に入っている間に知人に預けた結果、ある事情から音信不通になってしまったそうです。

相手は反社会的な人間だったそうなので、遺骨はおそらく捨てられてしまったのではないかと推測されています。

それから9年が経った現在、娘さんは関東を離れて遠く離れた地で暮らしているそうです。

 

まとめ

今回は、「神楽坂浮子の娘の画像は?名前や学校も徹底調査!」と題して記事をまとめていきました。

NHK紅白歌合戦にも2度出場しており、華やかな芸能人生を送っていた神楽坂浮子さん。

その娘さんの苦しかった過去が明らかになり、ネット上では衝撃を受けているようでした。

この記事では、神楽坂浮子さんの娘の画像や名前や学校に関しても詳しく調査していきました。

結果として、神楽坂浮子さんの娘の画像は残っておらず、名前に関してもわかりませんでした。

学校に関しては、娘さんは私立の中高一貫校に進学し、東北の大学を中退していた事がわかりました。

神楽坂浮子さんが自分の娘を本当の子供だと思っていたのかの真相はわかりませんが、どんなことがあってもその事実は変えられません。

今後お二人がどんな人生を歩んでいく事になるかはわかりませんが、苦しかった分も幸せになってもらいたいですね。