大久保一久のwiki経歴!妻と子供の家族と国籍がどこかも解説!

ミュージシャンの大久保一久さんが亡くなりました。かぐや姫の伊勢正三とフォークデュオ「風」を結成し名曲を残した大久保一久さん。

今の若い方たちは恐らくその名前を知らないと思われますが、その歌を聴けば「あ、知ってる」と思う方も多いのではないかと思います。

曲数は決して多くはありませんが、心に残る名曲を残してくれた大久保一久さんに心よりお悔やみ申し上げます。

今回はそんな大久保一久さんをご紹介します。

サンケイスポーツは下記のように報じています。

「22才の別れ」などのヒット曲で知られる伝説のフォークデュオ、風のメンバーでミュージシャン、大久保一久(おおくぼ・かずひさ)さんが13日に東京都内の病院で死去したことが15日、分かった。71歳だった。1979年の風の活動休止後はソロで歌っていたが、2008年に脳血管障害を発症。その後、脳梗塞を患い、闘病生活を続けていた。関係者によると、相棒の伊勢正三(69)もショックを受けているという。

引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/26754d483edb6a7a8f1d215fb0949ed1d067dac8

 

大久保一久のwiki経歴!

名前:大久保 一久

生年月日:1950年7月22日

血液型:A型

出身:広島県呉市

事務所:日本クラウン

広島県呉市に生まれた大久保一久さんは、学生時代からフォークソングを歌っていました。広島には「フォーク村」というアマチュアのフォークバンドサークルがあり、主にそこを拠点にしていたそうです。

大学進学で上京し、卒業後はフォークグループ「猫」に加入。しかし2年で脱退し、かぐや姫の伊勢正三とフォークデュオ「風」を結成します。

デビュー作「22才の別れ」で大ヒットしたあとも数々の名曲を残しました。

プライベートでは1977年に結婚。そして1979年に「風」の活動を休止しソロ活動するも、ソロ活動もやめて薬局で勤務を始めます。

その後は、薬局で勤務しつつ時々フォークソングを歌うような形で活動を続けていきます。

2008年、58歳のときにコンサートのリハーサル後に倒れてその後闘病生活を送ることになります。

 

大久保一久の死亡理由の病気は?

大久保一久さんの直接の死亡理由は発表されていません。朝日新聞の報道では、急性心臓死で亡くなられたということです。

2008年には脳血管障害を発症し、近年は脳梗塞で入退院を繰り返していたそうなのでそれが悪化してしまったのでしょうか。

脳梗塞とは、動脈の血行不良で起こる病気。血行不良により酸素や栄養が充分に行き渡らなくなり、神経細胞が影響をうけることで様々な症状を発症します。

身体に麻痺が残ったり、血圧が安定しなかったり・・・。

加えて大久保一久さんは71歳。2008年から10年以上にわたる闘病生活は、体力的にも辛かったと思われます。

 

大久保一久の妻と子供の家族は?

大久保一久さんは、1977年に結婚されていて、今回の葬儀の喪主は妻の美代子さんが務められました。

結婚しておそらく子どももいるのでは?と思いますが詳しい情報は分かりませんでした。年齢的には、お孫さんもいそうですけれどね。

親戚の方のインスタグラムも見つかりました。

ちなみに、大久保一久さんの実家は広島県呉市にありますが、そこで喫茶店を経営していたようです。

スナック喫茶「風」は、もうないのでしょうか。

探してみましたが見つかりませんでした。

身体を壊されてからは広島に帰って療養されていた大久保一久さん。

奥様ももしかしたらこの辺りにいらっしゃるかもしれませんね。

 

大久保一久の学歴(高校大学)

大久保一久さんの出身高校は広島県立呉宮原高等学校。最近は野球部が実力をつけ、甲子園に出場するなどしています。規律を守りながら、伸び伸びと生徒を育てる文武両道の校風のようです。

大学は、昭和大学の薬学部

ここで大久保一久さんは薬剤師の勉強をして資格を取ります。

フォークソングの活動を休止したあとは薬剤師として勤務していた大久保一久さん。

歌の才能だけでなく、頭も良かったのでしょうね。

大学で薬剤師の資格を取り、その後23歳のときには「猫」としてプロ活動。

歌も勉強も同時に頑張っていらっしゃっただろうことが想像できますね。

 

ネットの反応

国民
亡くなった加藤和彦さんに言わせると、「22才の別れ」のイントロ部分は、アコースティックギターの良さを極限まで引き出した、白眉ともいえるレベルの傑曲とのことでした。そう解説しながら加藤さんがイントロをソロで演奏されたんですが、奏でられた旋律と音色はほとんど神様じゃないかと思えるほどの美しさでしたね。風の演奏もまた、永遠です。
国民
22歳の別れとか、我が良き友よとか、神田川とか、学生街の喫茶店とか、フォークも好きな歌が多かった。
休日や夜はテレビじゃなくて専らラジオで、土日のヒットランキングの番組でこうした曲をよく聞いていた。
国民
『22才の別れ』が発表された頃に産まれた私はフォークソングせだいではないのですが、中学生の頃ラジオから流れるこの曲に感動してレコードを探して買いました。当時の同級生はみんなロックに夢中でしたが、私はブレずにフォークソング一本槍でした。
ご冥福をお祈りします。
国民
中学時代によく聞いた。当時のフォーク、ポップスには夢とロマンがいっぱい詰まっていた。社会性も反映し、子供ながらにら大人の世界に憧れていた。いまの時代では絶対生まれない曲。音楽は時代を映しているのだと思う。謹んでご冥福をお祈りいたします。
国民
中学校の卒業式の歌が生徒が選ぶ形で、風の「ささやかなこの人生」でした。歌詞の内容に、友との別れを重ねて唄った気持ちが思い出されます。当時は、フォークソングからニューミュージックへ移り変わる時でした。音楽は、本当に自分の青春時代を映してくれています。
ご冥福をお祈りいたします。
国民
自分の生まれるずっと前の曲だが、22歳の別れは決して色褪せることのない名曲。
他の風の楽曲とともに大切に聞いていきたいと思う。合掌。