冨田弘子の顔画像は?親や家族は誰で自宅住所は大阪?

2021年12月3日、北朝鮮による拉致の可能性を排除できないとして情報提供を呼び掛けていた冨田弘子さんが日本国内で発見されたと大阪府警が発表して話題となっています。

冨田弘子さんは1980年8月1日、大阪市都島区内の自宅から行方不明となりました。

大阪府警がホームページで名前や写真を公開して情報提供を呼び掛けていましたが、無事発見されたといいます。

冨田弘子の顔画像は見ることができるのでしょうか?

また、親や家族は誰で自宅住所は大阪にあるのでしょうか?

そこで、「冨田弘子の顔画像は?親や家族は誰で自宅住所は大阪?」と題して記事をまとめていきます。

 

冨田弘子の顔画像は?

今回無事見つかった冨田弘子さんですが、顔画像はあるのでしょうか?

報道では、冨田さんの顔画像は公開されていません。

しかし、大阪府警のホームページで失踪当時の写真が公開されています。

ただ、現在の顔画像については公開されていません。

冨田さん自身は、自分が北朝鮮による拉致の可能性があるということで警察のホームページで画像などが公開されていること自体を知らなかったといいます。

 

親や家族は誰で名前は?

今回発見された冨田弘子さんの親はどのような方、家族はいるのでしょうか?

今のところ、冨田弘子さんの親に関する情報は公になっていません。

ただ、失踪した当時は23歳頃だと思われるので、当時は50~60歳ほどだったのではないでしょうか。

そこから40年がたっているので、かなりの高齢になっているか、もしかしたらすでに他界をされているかもしれません。

40年間も失踪していて事件性がなかったということは、家族や親とは何らかのトラブルなどがあって、距離を置いていたということが想定されます。

ただ、親としては娘が長期間行方不明になっていたことを悲しんでいたと思います。

それにしても、40年間もの間行方不明になっていたのにも関わらず、親や家族はどのように捜索に協力していたのでしょうか。

拉致被害者の会に入って活動していたのか、そのあたりも気になりますね。

 

冨田弘子の自宅住所は大阪?

冨田弘子さんの自宅住所についてですが、失踪した当時は、大阪市都島区内の自宅から行方不明となったということです。

現在64歳で41年前となるので、23歳の頃でしょうか。

計算すると、40年間行方不明として捜索されていたということになります。

ただ、失踪している間に暮らしていた場所については今のところわかっていません。

非常に注目が集まっている話題なだけに、警察や本人の口から説明をしてほしいと思います。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は、「冨田弘子の顔画像は?親や家族は誰で自宅住所は大阪?」と題して、北朝鮮による拉致被害者とみられていた冨田弘子が発見された件について、記事をまとめてきました。

2021年12月3日、北朝鮮による拉致の可能性を排除できないとして情報提供を呼び掛けていた冨田弘子さんが発見されたのは大きな注目を集めています。

冨田弘子の顔画像については大阪府警のホームページから確認することはできますが、失踪当時の写真のため、現在の画像とは変わっています。

しかし、現在の顔画像を確認するすべは今のところありません。

また、親や家族は誰で自宅住所は大阪にあるのかも調べました。

失踪した当時の自宅は家族と暮らしていたようですが、今のところ親や家族に関する情報は出ていません。

ただ、ひょっとしたら他界されている可能性もあると思われます。

また、自宅住所は失踪当時、大阪府大阪市都島区内にありましたが、失踪中に暮らしていた場所についてはわかっていません。

かなり注目される事案なだけに、もう少し詳細に報じてほしいなと思います。