澤井信一郎のwiki経歴!子供や学歴(中学高校大学)は?

「野菊の墓」「Wの悲劇」など、良質な娯楽作を手がけた映画監督の澤井信一郎(さわい・しんいちろう)さんが9月3日午後7時5分、多臓器不全のため、東京都内の病院で亡くなりました。83歳でした。ご冥福をお祈りいたします。

亡くなった澤井信一郎さんとは、いったいどのような人物だったのでしょうか。調べてみました。

 

澤井信一郎さんが多臓器不全で亡くなる

報道によると…

「Wの悲劇」などのメガホンで知られる元東映の澤井信一郎監督が3日、多臓器不全のため都内の病院で亡くなっていたことが分かった。83歳。東映が発表した。

澤井監督は静岡県生まれ。東京外国語大ドイツ語科を卒業。1961年東映に入社し、マキノ雅弘監督に師事。助監督時代を含め、下積みが長かったが、81年松田聖子が主演した「野菊の墓」で監督デビューした。

出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/f2d1ca4dc03dbe3d6c72bac5099cf15da21b843f

 

インターネット上ではこのようなコメントが出ています。

またもや時代を彩る大きな人物がいなくなってしまうとは…
本当に惜しい限りです。
ご冥福をお祈りします。
千葉・松戸では高木美保がウケたらしい。最近の彼女、女優業ご無沙汰だけど。
出典:ヤフーニュース

澤井信一郎のwiki経歴

澤井信一郎さんは、静岡県浜名郡雄踏町(現在の浜松市西区)出身です。1938年8月16日 静岡県浜名郡雄踏町(現、浜松市)に生まれます。父親は幸雄さん、母親は志かさんです。

六男一女の五男で、本名は信治といいます。

1961年、東京外国語大学ドイツ語科を卒業後、東映に入社。マキノ雅弘に師事しました。

主な経歴は以下の通りです。

 

1961年:東映東京撮影所(大泉)に助監督(第十期)として入社。浅草東映(映画館)にて二ヶ月半の実習。『ヒマラヤ無宿 心臓破りの野郎ども』で初助監督(フォース)。
1964年 9月~:一年間、組合の専従役員(副委員長)を務める。
1965年:『任侠男一匹』で、師匠マキノ雅弘に初めて付く。
1967年:『侠骨一代』で、セカンド助監督に。
1969年:『日本侠客伝 花と龍』で、チーフ助監督に。
1981年:『野菊の墓』で、監督デビュー。
2006年春:紫綬褒章受章。
 1981年:『野菊の墓 』  (原作=伊藤左千夫/脚本=宮内婦貴子)
1984年:『Wの悲劇 』  (原作=夏樹静子/脚本=荒井晴彦+澤井信一郎)
1985年:『早春物語 』  (原作=赤川次郎/脚本=那須真知子)
1986年:『めぞん一刻 』  (原作=高橋留美子/脚本=田中陽造)
1987年:『恋人たちの時刻 』  (原作=寺久保友哉/脚本=荒井晴彦)
1988年:『ラブ・ストーリーを君に 』(原作=ディディエ・ドゥコワン/脚本=丸山昇一)
1991年:『福沢諭吉 』  (脚本=笠原和夫+桂千穂)

澤井信一郎に子供はいる?

そんな澤井信一郎さんに子供はいるのでしょうか?
葬儀の喪主は妻の郷子さんが務めたということで、結婚はしていたという
ことがわかります。

ただ、澤井信一郎さんの子供に関する情報は公な情報がなく、わかりませんでした。

ただ、年代的には恐らくお子さんがいた可能性が高いのではないでしょうか。

ひょっとしたらお子さんも父親の背中を見て、映画やクリエイティブ系の仕事を進まれているかもしれませんね。

 

澤井信一郎の学歴(中学高校大学)は?

澤井信一郎さんの学歴(中学高校大学)も見ていきたいと思います。

澤井信一郎さんは静岡県浜名郡雄踏町(現、浜松市)に生まれます。小学校は地元の雄踏小学校で、小学生時代は野球少年だったといいます。

中学校もそのまま地元の雄踏中学校に進学しています。そこではハーモニカクラブに所属して、全国大会・独奏の部で優勝を果たしています。やはりこのころから芸術の才能があったのかもしれませんね。

高校は静岡県立浜松北高等学校です。『みずうみ』(テオドール・シュトルム)を読み、独語専攻を決意したといいます。

高校卒業後は東京外国語大学ドイツ科に進学。自治会の執行委員も経験し、社会主義学生同盟に参加。学生運動にも積極的だったのでしょうか。

 

 

ネットの反応

国民
この『Wの悲劇』は三田佳子さんと薬師丸ひろ子さんという2人の女優の存在感が際立った、日本の映画史に残る不朽の名作だと感じられます。
澤井監督のご冥福をお祈りします。
国民
「Wの悲劇」は夏樹静子さんの原作を敢えて劇中劇とすることでより深みのあるヒューマンドラマになったと思います。薬師丸ひろ子の脇を支える共演陣も皆いい演技でした。
ユーミン提供の主題歌が流れる中、ラストのストップモーションも印象的です。
国民
大学時代、仲間とWの悲劇をビデオレンタルして観て感動した記憶があります。
歳を経て観返すたびに、その記憶が蘇ります。
主題歌は松任谷由実、BGMは久石譲で音楽も最高によかった。
国民
1980年代から90年代の日本映画低迷期を支えた監督。
社員助監督が監督になるという撮影所システムの中で過ごした東映では最後の方。
国民

どんな題材も真摯に演出される素晴らしい演出家でした。
ご冥福をお祈りいたします。

国民

野菊の墓がデビュー作だったのですね。おでこ全開の聖子ちゃんが懐かしいです。
Wの悲劇は、ラストシーンが大好きで、何度も観ました。
素敵な映画をありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

出典:ヤフーニュース