日航機墜落事故坂本九の遺体や遺書は?座席がどこかも調査!

今から37年前の1985年8月12日、群馬県の御巣鷹山に日航123便ジャンボ機が墜落する事故が起こり、520人の乗員乗客の命が失われました。

この事故は単独機の航空事故として世界最多の死者数を出した事故として記録されています。

犠牲になった人の中には著名な人物も含まれており、歌手として有名な坂本九さんもそのうちの一人です。

墜落現場には無数の遺体が散乱し、身元の特定が困難なほどに損傷が激しかったといいます。

このような事故に巻き込まれた坂本さんの遺体や遺書は発見されているのでしょうか。

また、事故機に乗っていた坂本さんの座席はどこだったのでしょうか。

今回は「日航機墜落事故坂本九の遺体や遺書は?座席がどこかも調査!」と題してまとめていきます。

 

日航機墜落事故坂本九の遺体は?

事故が起こった当時は夏休みの只中で、1人で搭乗していた小学生もいました。

事故機は離陸してから12分ほどで操縦不能に陥り、32分迷走したのちに、群馬県上野村にある御巣鷹山に墜落しました。

この事故で乗員乗客520名が命を落とし、奇跡的に4名の生存者が救出されました。

犠牲者の中に1人が坂本九さんで、坂本さんの遺体は損傷が激しく、胴体部分しか発見されていないとも報道されています。

それが坂本さんの遺体であると特定できたのは、生前身に着けていた笠間稲荷のペンダントが遺体の胸に突き刺さっていたことだったそうです。

坂本さんの家族が遺体の確認をし、そのペンダントを確認したことで、坂本さんの遺体と特定されました。

坂本さんの遺体画像は報道されておらず、状況は現在のところ不明です。

 

日航機墜落事故坂本九の遺書は?

この事故で亡くなった方の中には遺書やメモなどを残した方もいました。

坂本さんは航空機内にボストンバッグを持ち込んでいました。

その中に遺書などはないかと、坂本さんの遺体を確認した家族は期待したそうですが、遺書などは発見されなかったそうです。

坂本さんのバッグの中には録音機能が付いたウォークマンが入っており、その中に何か記録されていないかとも期待したそうですが、その中にはその年にリリースされた楽曲が入っているのみだったそうです。

坂本さんは遺書を残すことではなく、安全姿勢などの対策を取ることに墜落までの時間を使ったのでしょう。

このことから坂本さんは、生きて帰るためのの行動を取り続けていたと考えることができますね。

 

日航機墜落事故坂本九の座席はどこ?

事故当日、東京でのラジオ収録を終えた坂本さんは選挙応援のために大阪へ向かう予定でした。

坂本さんは移動には全日空を使っていましたが、この時は立候補者の側近がチケットやホテルを手配していました。

この日の全日空は満席で、仕方なく日航機のチケットを手配したそうです。

そのため坂本さんの家族も乗客名簿が公表されるまで、「日航機に乗っているはずがない」と信じていたそうです。

坂本さんが事故にあった座席がどこなのかは情報を見つけることはできませんでした。

ただ、当時の日航機は全席エコノミークラスで、坂本さんはマネージャーと共に2階席に乗ったことは報道で公開されています。

 

まとめ

今回は「日航機墜落事故坂本九の遺体や遺書は?座席がどこかも調査!」と題して、記事にまとめてきました。

今から37年前の1985年8月12日、群馬県の御巣鷹山に日航123便ジャンボ機が墜落する事故が起こり、520人の乗員乗客の命が失われました。

犠牲になった人の中には著名な人物も含まれており、歌手として有名な坂本九さんもそのうちの一人です。

坂本さんの遺体は損傷が激しく、胴体部分しか発見されていないと伝える報道もあります。

航空機に坂本さんはボストンバッグを持ち込んでいました。

その中や、録音機能のあるウォークマンに遺書がないかと坂本さんの家族は期待しましたが、遺書は見つかっていません。

事故機の坂本さんの座席がどこだったのかは不明ですが、報道ではマネージャーと共に2階席を使用したとありました。