【死亡】醍醐敏郎の死因|家族(妻+子供)|学歴(高校大学)wiki経歴

柔道の現役時代に全日本選手権を2度制覇、オリンピックの日本代表監督を務めて「ミスター講道館」と呼ばれた醍醐敏郎さんが亡くなったと報じられ、世間の注目が集まっています。

死因は何だったのでしょうか。また、どのような人物だったのでしょうか。

報道の概要

朝日新聞は以下のように報じています。

柔道の事実上の最高位である10段で、現役時代は全日本選手権を2度制覇、1976年モントリオールと84年ロサンゼルスの両五輪で日本代表監督を務めて「ミスター講道館」と呼ばれた醍醐敏郎(だいご・としろう)さんが10日、亡くなった。95歳だった。

千葉県出身。旧制安房中(現安房高)で柔道を始めた。東京高等師範(現筑波大)卒業後、教員を経て講道館の研究員となった。戦後の51、54年の全日本選手権で優勝。64年東京五輪ではコーチを務めた。そこから、88年ソウル五輪の翌年春に強化委員長を退任するまで、日本柔道界の一線で指導に当たった。

醍醐さんの死去で、生存する10段は大沢慶己さん(95)と安部一郎さん(98)の2人になった。

出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/9387432f9219d5f1405eafd72086d8af7cec4fcd

ネットの反応

国民
醍醐敏朗先生…。柔道界では言わずと知れた重鎮ですよね。あの木村政彦とも対戦したようです。
国民
赤帯。。。
コータローまかり通るのおばあちゃんが赤帯ではじめて存在を知りました
国民

柔道10段の人は日本で3人しかいらっしゃらなかったんですね。まさに重鎮な方だったんですね。

国民

醍醐先生亡き後、残された大沢先生と安倍先生は人間国宝的な日本文化の真の体現者である。

国民

10段な上に95歳まで生きてらっしゃって、他のお二人はさらにご健在という凄さ。

国民

メチャメチャ強そうなお名前ですね、長い間お疲れさまでした。

出典:ヤフーニュース

醍醐敏郎の死因

醍醐敏郎さんの死因は何だったのでしょうか。今のところ、醍醐敏郎の死亡については朝日新聞しか報じておらず、詳細がわかっていません。

朝日新聞も死因については触れていませんでした。

ただ、95歳という年齢なので何らかの病気をわずらっていたか、あるいは老衰ということも感がられますね。

醍醐敏郎のwiki経歴

生年月日:1926年1月2日
出身:千葉県安房郡船形町
出身校:東京高等師範学校
職業:柔道家、警察官
著名な実績:全日本柔道選手権大会優勝、全日本東西対抗柔道大会出場、国民体育大会優勝
流派:講道館(十段)
身長:179 cm
体重:109 kg
肩書き;全日本柔道連盟理事(元)、講道館評議員(元)・顧問(現)、警察大学校名誉師範日本体育協会理事(元) ほか
受賞:全日本柔道連盟功労賞(1999年)

醍醐敏郎さんは戦後の柔道界を牽引した1人で、同時期に活躍した松本安市、吉松義彦、石川隆彦、夏井昇吉らと数々の名勝負を繰り広げます。

そのシーンは現在も柔道界の歴史に刻まれています。

講道館研修員や警察大学校師範として後進の指導にも積極的で、モントリオール五輪やロサンゼルス五輪では男子柔道競技の監督を務めました。2006年には講道館から事実上の最高段位である10段を与えられています。

醍醐敏郎の学歴(高校大学)

醍醐敏郎さんは、旧制安房中(現安房高)出身で、この時に柔道を始めました。

東京高等師範(現筑波大)を卒業した後、教員を経て講道館の研究員となりました。

東京高等師範(現筑波大)といえば、柔道界で有名な嘉納治五郎が校長を務めたことでも有名ですね。

講道館柔道を創設したのも嘉納治五郎であり、関係が深そうですね。

醍醐敏郎の家族(妻+子供+孫)

醍醐敏郎さんの家族について調べてみました。
ただ、醍醐敏郎さんの家族については詳細が公になっておらず、わかりませんでした。

ただ、今回の死去で喪主を親族の方が務めると思うので、記事になればわかるかもしれません。

今後新しい情報が入りましたら掲載いたします。

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